唯我性悪説 そしてみんなからのプレゼント
ブログを始めて本当に良かったと思います。一度起きたこと、ふと頭に浮かんだものを頭の中で何度も反芻しますからね。より深い思考と多くの経験を得ることができます。
文字を書いている間、私は自分自身と対話しています。つまり、外から自分を見つめることもできるんですね。
そして、そんなことをし続けていると、一つの大きな問題にぶつかります。それは、
私とはだれか、何か
というもの。
はっきりいいます。これに答えはありません。特に私は。一番知っている私でさえ謎だらけなんだから。時々自分でもびっくりしています。
一度ブログで触れたことがあります。
これ。このときはいいところだけやけどね。
で、みんながよく言ってくれてる私のいいところをぜんぶ考えてみたら、すごいことを考えてしまった。
「私の良さは、すべて後天的なもので、元から持ってるものなんて何一つとしてないんじゃないか」
いいところだけを見ようとしたら、私は無から生まれたことになった。
だってさ、優しい人だって言ってくれるけど、頑張ってるって言ってくれたけど、
それもこれもすべて、お前らがおらなせんかったことやぞ?
優しいのも周りの人になんかプラスになれたらってことやろうし
頑張れるのも人のため、みんながおるからやれるきっかけも生まれてくるし。
あんたらがよくしてくれるけんお返しに、、とでも思ったんかな。
多分無人島で育ってたら、私は社会に出ても一生こと言われんかったはずなのよ。すべて、周りの友達みんなからもらった
プレゼント
だと思う。
そして、もう一つのタイトル、唯我性悪説。まあ、うえの事をまとめてるだけなんだけど、もとから私は潜在的にこの考えがあったようで、
さっきのことをまとめたら、
私がほかの人からいいものをもらってる=新しい出会い、環境がより良い私を作るってことよね。
つまり、私は基本的により良くなってる はず。
潜在的に思ってらだけだから実際そうとは限らんけどさ。
でも、私は自分への愛が限りなくゼロに近いから、恐らくさっきの逆のことを考えてる。
つまり、過去の自分は悪い奴だってね。
だから私は過去の自分が大嫌いやし、何なら昨日以前の私の善行を思い出せない。
(単純にやってないだけかもしれんがね)
これは昔からの事やけんよっぽどのことがないと変わらんやろうし、私は止めるのほぼ諦めてる。
ただ、もっと早よから、なんなら中学のころくらいからブログしてればよかったなぁ。
またまた北九州に帰った時、もっともっといい人になっていようか。
強く。