お久しぶりです。最近忙しすぎてブログに手が付けられないんです。プラス、自粛期間中で単調で単調で...毎日レポートを処理する日々。西条は寒暖差が激しいのは分かってますが、春を丸々家で過ごしていたので、急な暑さに対応できません。自粛前の3月は雪だって降ってたのよ。

 

 

さて、最近ちょくちょく本を読みます。SEKAI NO OWARISaoriの「ふたご」だったり、ホークスの松田の本とか。バリエーションは色々。

 

 

その中で、仕事に活かせるかなって思って買ったのがこれ。
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ホストの帝王、ローランドさんの本です。叩き上げの成功者の理論、精神を覗きに行った感じですね。

 

 

この本の本題は、今日はいいか。自信とかは、今日の内容じゃないんです。

 

さて、その中で、ローランドさんはひとつ気になることを言っていました。花のことです。

 

「世界で1番美しい花は薔薇、だけどいちばん綺麗な花は桜」

 

生き様の話なんです。本当は。桜のように美しいうちに散りたい、、と。

 

 

正直、世界の花はどれも綺麗だと思うんです。単子葉類も双子葉類も、木も草も、裸子植物被子植物も。まあ、これは個人の主観なので、別にローランドさんを否定する気はさらさらありません。現に、彼に一番似合う花は薔薇でしょう。

 

 

ここで、ひとつ童話を紹介しましょう。「ヒナギク」です。1回出したんですけどね。

薔薇やチューリップにはそれぞれ美しいところがあって、その個性の違いや自分の現状受容してヒナギクは幸せを得ている...超要約してこんな感じ。

 

そうです。私に似合う花は決して薔薇とは限らないし、生き様を示す花は桜じゃない。桜大好きだけどね。

 

 

Instagramを見てて思います。映える友人を見て、きらびやかな写真を見て思います。彼ら彼女らは、本当に美しいコスモスやひまわりのようだ。季節によって色鮮やかに色を変えながら、美しく花壇に立っている花々だ。

 

 

別にこれに悪意なんてありません。昔クラスで絡んでいた友人が美しくなっていく嫉妬はありますがね。笑私ずっと昔のまんまだもん。野球部やめて坊主卒業した以外は。

 

でも、私はそんな花壇にはいられません。彼らと私は、舞台が違う気がするのです。私は彼らのように美しく着飾れないし、キラキラとライトを浴びることは一生ない。

 

 

 

そうだな。私は...蓮だなぁ。

 

泥の中で必死にもがき、根性で根を張り水面に顔を出した、水蓮だ。

 

 

私もどこかに美しさがあるんでしょう。でも、今は誰も分かりません。レンガで並べられた西洋風のガーデンや、魚の踊る青い水の中なら、私の美しさも分かるのかもしれないけど、

誰も足を踏み入れない泥の中では誰も気づきやしない。もちろん、私も。そのまま枯れて沈んでいくか、根性で花を出すかは分かりませんよ。

 

 

でも、私は蓮だ。根性の花だ、

 

 

いや、むしろ私は、蓮でありたい。

 

これにはもうひとつ理由があって、ことわざの「泥中の蓮」。意味は、どんなに汚れた場所にあっても、それに染まらず正しく生きること。

 

うん。自分の信念を貫く、私の生き様じゃあないか。

 

 

いいさ。たとえインスタばえするようなものが、人が愛でられていて、私に日の目が当たらなくたって。

私は、私だ。必死こいて、もがいてやる。苦しんで、追い込んで、枯れて、沈んで、その傷の分だけ大きく美しい花を咲かせてやらあ。

 

 

見てな。