昔の夢。今の夢。
今日は教育学部の人と野球の練習してました。中高の親友が所属してて、そのおかげで混ぜてもらいました。
その休憩時間、研究だとかの話になりました。私の所属する学部は外部から見れば謎そのもの。なんせやることは自由なんです。
その時の話をせっかくやから乗せておこうかな。
その前に、なんで私がこの謎学部に入ったか。2つ理由がありました。
1つ目。社会、特に日本史の教員になりたかった。この学部は文理共同、しかも教員免許も狙えます。
高校時代の私はガチガチの理系で、趣味で二次の有機化学の問題を解くほど理系に侵されてました。文系で試験は絶対無理です。しかもここなら、他の教員とは一味違う、色んな視点から日本史を楽しく教えれないかな...って。
元々教員の願望がかなり強かった私は、同級生が多く行く地元の国立には進めませんでした。理学部しか道がなかったけんね。
2つ目。これは全く別の話です。この学部は心理学やスポーツも学べます。ここで私は、完全自立の練習の是非を調べたかった。
これは、高校時代、ボート部の経験です。
私の高校は進学校で、監督は放課後課外等で練習をあまり見に来てませんでした。特に冬は最後のミーティングだけとかね。
なので私は、監督の決めた練習にほとんど従わず、自分の課題であった下半身を徹底的にいじめてました。他の選手も、自分の課題、怪我、調子に応じて、ある程度は変えていましたね。(エルゴだけは従ったけど)
ここで私たちは、2種類の結果を得ます。まずは男子。
先輩と後輩が1:1の私たちは、後輩にも目が届き、色々アドバイスを送れました。常に高い意識で続けれたこと、自分を知れたことで他校との間にかなり大きな差を生み出しました。自慢ですが私たちの代に国体で圧巻のタイムを残しています。(私はいない)
続いて女子。後輩が圧倒的に多いこの代は、恐らく指導の目があまり届いていませんでした。本来監督がやるべき事を先輩がしますからね。
(この部活はみんな筋トレ初心者からのスタートで、その分コーチは多く必要なんです)
その結果か分かりませんが、向上心の高い彼女たちは腰や膝に故障を抱えました。才能も意識も高く選手層も厚かった...のに。引退まで怪我せず元気にさせれなかった...猛省です。
他にも、もし意識が低ければみんなサボってしまいます。
だから、心理学とかも融合させながら上手く研究して、ボートとか高校大学で初めて始めるようなスポーツに活かしたいなって。
でも、ここに来て、新しいこといっぱい知って、もっと興味の湧くものに出会いました。これも心理学なんやけどね。ここからはそれの紹介です。
2011,3/11
記憶に残る、東日本大震災の日です。津波の被害がハッキリと映像に残りました。1万を遥かに超える人々が流されていきました。
わたしは、この原因をいくつか考えてみました。
1 足腰が不自由で遅れてしまった
2 津波を侮った
3 避難場所までも津波に飲まれた
4 仲間の無事が心配で戻った
1,3に関しては、予想以上の地震、津波が招いた悲劇です。確かに平野の宮城県、避難場所も少なかったかもしれない。これを教訓に、高知では物見櫓みたいな避難塔を作ってるそうです。
2。実際に、数日前に地震が起きて津波も来たそうです。プレート境界型やしね。小さな津波だったそうで、「また小さいものだろう」と油断したのかもしれません。恐らくその考えはもう誰も持ってないはず。
問題は4です。実際に大災害を経験してない私が言うのも何ですが、もしこんなことが起これば、第1に家族や友達を考えるはずです。合理的に考えれば逃げるしかないのにね。この地震では確か到達まで時間があったはず。余計にそうさせるでしょう。携帯も恐らく混みあって繋がらんはずやし。
私が研究したいのはここ。これを何とかしたい。政府は防波堤で何とかしようとしてますが、それが耐えれる津波しか来ない保証はどこにもないのよ??それより、より確実に“人”を守りたい。これに対する明確な答えは頭にないけど、この4年間で探してやる。
まあ、GPA散々やった私が言うのもなんやけどねぇ。
(誰か自立の練習について研究して)