悟り

水曜日の朝はとにかく弱い大学生です。既に4回行きそびれてリーチがかかっておりましたが、めでたく本日ビンゴとなりました。

7時に寒すぎて起き、30分タイマーをセットして起きたら9時半でした。タイマーは残り12分を指していましたので、途中で手が当たったのでしょう。仕方の無いことですね。

 

 

 

 

 

タイトルで大きく持ってくるのは私のいつもの癖でございます。別に新たな宗教を開くわけでも、メシアになる気もありません。ただ、他にいい表現がありませんので、これで行こうかな、と。

 

 

 

12月頃、思い悩みがひたすらに強くなった私は、自己探求、反省に力を注ぎ、それを表すことを控える、つまりブログを休憩していました。

 

 

自分の弱さを知る私は、ことある度に自傷し、答えのない問に悩んでいました。

 

 

高校時代の友人の多くが浪人し、よく知る人達のの助けを得ることは難しいので、海に行ったり、トレーニングで体を追い込みながら考え続けました。

 

 

 

昨日、1つの答えにたどり着きましたので、書き記している次第でございます。

 

久しぶりにアプリを開きましたね。

 

 

 

最近はできる日は毎日トレーニング1時間しようとしています。ジムの機材が壊れているので、しばらくは家でのトレーニングになりそうです。

 

 

昨日はそんなトレーニングに飽きていて、久しぶりにランニングにしました。1時間ほどかけて、暗い10kmのコースをゆっくり周りました。

 

私は走るのは全く苦手です。直ぐに息が上がり、あまり無駄事を考えられなくなります。

 

5kmほど走った時でしょうか。大学の裏、星空だけの空間で、下手な意識は完全に抜けました。

 


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それと同時に、思考が急に深くまで達しました。

 

余談ですが、私は思考は水と考えます。浅い意識では表面上のものしか見えず、その真意は見えないが、深い所であればあるほど広いものが見えてきます。

 

 

 

ふと、私の心の弱さに目をやりました。

 

私は昔から人に頼り、人の心の芯を使って生きてきました。小学校から高校まで北九州に留まり、自分をよく知る仲間がいたからこそです。新しい環境に入れたのも、そいつらがいたからこそ。でも...

 

大学に入り、そのようなことは通用しなくなりました。突如始まる一人暮らし。急に消えた親友。知り合いの中で、広大を目指し合格したのはざっと6人中2人...皆、受かる力を持っていました。

 

 

私が頼れるのは、私のみ。その中で、私は新たな心の拠り所を見つけようとしていました。はっきり言いますと、彼女を作る...それに近いものを持つこと。日の浅い同性間だと、どうしてもただの馬鹿になってしまいます。

 

 

その結果、どうなったか。私の中に異常が出来ました。それとは、

 

 

異常なまでの負けず嫌い

 

強い承認欲求

 

 

負けず嫌いは元からですが、あからさまに強くなっている。下手な対抗心が、悪く、なっている。

 

 

 

 

気づいたことは単純でした。

 

 

 

私はその弱さを自覚していながら、それを改善させようとするのではなく、

 

 

ただただそれに甘えようとしていた。人に委ねようとしていた。

 

 

これが結論です。

 

 

 

ええ。向上心のないものは馬鹿だ。その通りでございます。自主的に変わろうとしていた私は、結局ただ甘えようとしていたんだ。根本を変える気がなかったんだね。

 

根本にある弱い心を変えぬ限りは、変える、という志なければ、何も変わらない。

 

 

 

甘さを捨てよう。弱さは、悪です。頼ることを前提として生きてはなりません。

 

結果的頼ることになったのなら、それはただ周りが素晴らしいのです。それを当たり前と思っている以上、それより先はない。

 

 

 

 

 

それに気づいた時、私の足が強く地面を蹴るようになりました。心の枷が抜けたのでしょうか。甘えたい自分に苛立ったのでしょうか。そうです。強くならねば。