自分を好きでいること。3
さて、続きです。
前回、私の悪い所のうちのひとつ、協調性のなさは、自己表現欲の強さにある、と言いました。じつは、この原因も私は知っています。
私の心には芯がありません。常に不安定で、誰かの助けが常に必要な状態にあります。歳が近いとなお助かります。
私はとても運が良く、小さい頃から同級生は沢山周りにいました。
新日鉄の社宅が解体されて住宅街になって数十年?私たちの世代にはちょうど良かったらしく、近所の住宅街には2000年辺りの生まれがめちゃめちゃいたんです。道路にも、公園にも、晴れてたらそこら辺歩いただけで何人も会えました。
話が逸れました。そうやって、私は高校まで何の心配もいりませんでした。私の事をよーーく知ってくれてる仲間がいっぱいいたからです。その人が説明してくれるから、さらに安心。
それが大学に入って一変します。九州に残っとけば良かったものをわざわざ広島まで来たもんだから、私の学部に私を知ってる人は急にいなくなりました。大ピンチです。
大学の生活はそれまでのものとは違いすぎます。部活に入らなかった私は、下手すれば人の波に埋もれてみんなに忘れられかねません。
大袈裟って思った?でも、可能性はゼロやないし、そうなったら精神的に死ですよ。
ただ、普通の人はそうは思いません。そんな事しなくても、人がいる、って思ってるから。
ここで私はこう考えました。
私は自分を悪く見ていて、私自身に魅力がないと考えている。だから、自分で行動しなきゃいけない
って考えてるのではないか。協調性のなさに当てはまる行動は良くも悪くも博打なんです。その印象に残る行動で、記憶に残させよう...って考えてるのかな。
だから結論。自分を好きになるべき。
こう考えると、もしかしたら前回考えてた私の悪い所ほぼ全て解決できるような気さえします。自分を好きになれば、それだけ心に余裕が出てくるからね。
ただ、これが難しいんよね。どうやって自分を好きになればいいんだろうか。自分の良さを知った上で嫌いだからね。
多分、これも人と時間に委ねるしか無いと思う。結局私は周りが全てなんだろね。