心の余裕とアルバイト
前回紹介した本を途中で放りながら、次の記事を書いています。最近忙しいから本読む暇もないのよね。
大学生は2月から春休みです。私は部活にも入っていないので、ずーーっと暇でございます。予定立てるほどきっちりしてないので、まったりその日暮らしって感じ。
そんな私もアルバイトをまた始めました。
今度のバイトは引越し屋です。
単純な肉体労働、朝7時から夕方までずっと働き尽くし。でも田舎にしちゃあ悪くない賃金。お金は欲しいのよね。
このアルバイトの詳しい話はまた書きます。
今日はトラックの関係上、午前中のみの勤務となりました。二階建て一軒家の引越しのうち、積み込みだけで終わりです。中型車の荷台がパンパンになる量でしたので、相当運んだのでしょう。
時間はいつもの半分程度だと言うのに、今日の私は極端に疲れが回っていました。事務所に戻って少し心配されたレベルで。
というのも、この家には数人ほどお子さんがいらして、作業中も家の中にいるんです。事故にならないよう注意しなければなりません。
何より、知らない人がいっぱい入ってきて家の中は興奮状態。お子さんは泣き叫ぶしお母さんは大変そうでしたね。どこで作業しててもこの声は目いっぱい聞こえてきます。
一方の私はと言うと、まだあまり慣れない仕事、力仕事で疲れも溜まりつつ、急いでいるので余裕は全くありません。不機嫌そうな駄々はストレスでしかないはずです。
が。私はここで思いもよらない思考をしてました。余裕は無いので何か意識した訳ではありませんし、面倒を見るのは私の仕事では有り得ません。それでも私は、ある思考に至りました。
・叫ぶのは元気な証
・泣くのは親への愛情の裏返し
・泣くより笑った方がいいけど叫んで悪いも のか。
これは、恐らく正答です。そして何より、心に余裕を持たせる解です。
私はいつも、子供の泣き声を心の余裕のバロメーターにしています。余裕のない日はその声にイライラしてイヤホンをつけてしまいます。
他人の子とは言えど、避けてしまうのは男としての母性本能の喪失です。
ですが、ここまで余裕のある捉え方をしたのは初めてでした。
これまでのブログによって、私の思考はかなり深くなっていきました。最近自傷していたとは言え、感性や思考の深さは残っているはずです。
以前の私はこんな捉え方ができていたでしょうか。考えが浅すぎて、忘れてしまいました。以前の私より優しくなれたのかは分かりませんが、
塞ぎ込んだ心が回復傾向にある、余裕が生まれつつあることに間違いはないでしょうね。
初めのうちは泣き叫んでいたその子も、作業の終盤になると機嫌を取り戻し、広くなった旧居ではしゃぐようになりました。
上の階で1人保護シートを剥がしていた私の所に上がってきて、楽しそうに私の仕事を手伝ってくれました。
私自身もともとから覇気のない童顔、今の心境も相まって、寄ってきやすい雰囲気になっていたのかな。倒れてきたシートに埋もれながらも、元気に剥いでいきました。
私は普通AT免許しかなく、トラックは運転できません。荷台いっぱいに積んだトラックは先輩の運転で直ぐに遠くへと出発します。
少しの満足感と重い体を引っ張って、私は事務所を後にしました。